今更ブログかぁ

すぱっと消え入りそうだ。1時間だけ仮眠をしたらブログ開設が本当に億劫だ。じゃあ止めるっていう話しだけど、何度も検討を繰り返して面倒っていう結論に至るエンドゲームを遂に越えて、最早どこにも逃げ道はないと悟らざるを得なかった。

 

一体、どうしてこうなってしまった、現在について軽く振り返ってみよう。

 

現在2024年3月19日(火)は平均の気温(10℃)。

「あれ春は遠いんですね」

そんな印象の1日だった。汗ばむような陽気を過ぎたら霜が降りるくらい翌朝は空気が冷え込み、風邪だか花粉症だか判別が出来ない原因で鼻水くしゃくしゃオッサン不潔、それが例年だけど正月から悪かった体調が今は漸くマシになった。そしたらば、慢心していた歯茎が悲鳴を上げ始めて、めでたく長期の通院するはこびになりました。後3月は意外と雨が多いっていう点も見逃せないよね。

 

申し訳ないと思いつつ、リアルでするような、しみったれた記述をしてしまった。当たり前みたいに病気や天気について考えてしまうけれど、子供の頃といえば情緒も共感もとぼしくて、痛みや悪条件なんて些末に過ぎなかった。長期の休暇だけが生きがい、後は自己満足のためだけに時間を消費、多分それだけだった。

 

別れや出会いで多忙な方、いつも本当にご苦労さまです。横目にしつつ実体験した記憶はズバリ存在しない。不満をごまかしながら長期の休暇を待ち望んでいる日々を送っているわけで、ヤベー全く成長してないじゃんと言わざるを得ない。休む時間はドンドン減らされているけれどね、ハハハ。

 

天気から季節について、雑に書き散らした、ちゃんと現状を振り返る伏線も回収したゾ。伏せられていなかったような気もするけれど次を書こう。

 

「三月は深き紅の淵を」

小説のタイトルだ。著者は恩田陸、キャリアの初期、1997年に単行本が刊行された。

内容は「三月は深き紅の淵を」という幻の本が登場する(実物が現れない場合もある)4つの独立した短編ミステリ集、テクニカルな奇想と著者ならではの不思議な読感が早くも達成されており、理瀬シリーズのひな型も収録されている。ミステリに触れていた当時は推理に興味がなくて「売れている著者」という基準で作品をセレクトしており、雑に言ってしまえば大作映画の如きエンタメ小説が好きだった。叙述トリックなんか見向きもしないタイプといっていい。だから文庫本で3月を手に取った時も今と違って受容に抵抗がなかったからちゃんとページを最後までめくった筈なのに、申し訳ないが、物語の内容は覚えていない。だけど、印象的なタイトルとゾクゾクした感触は時折に振り返ってしまう。

 

学生時代、アルバイト先は駅に程近い本屋だった。売り場の面積に対する従業員の数がどう考えても不足していて、現在において改めて考えてみれば、地元の小売店でスタッフが揃っているところは大規模のスーパーくらいしかないんじゃなかろうか。

 

JRの幹線が引かれた駅はエロゲーの背景の如き空っぽの場所ではないけれど、断じて都会的とは言いたくない。地上に面した相対式のプラットホーム、急な階段を昇りナナメ45度に直進すれば、すぐそこに改札口ある。名ばかりのメインフロアに出て、切符売り場を右手、バックヤードと区別がつかないテナントをガン無視、だいたい30秒で西側の出口に至る。少しだけ高い位置の風景、いつも記憶の中で雨模様、チェーン店の居酒屋、あやしい雑居ビル、まるで特徴がないブロンズ像、それらがもたらすプレッシャーのせいだろう。バスやタクシーが巣くい、送迎の一般車がブーブー鳴いているロータリーをまたぐ高架橋を渡れば、バイト先の本屋を含んだデパートがある。

 

恩田陸の存在は、夕方のシフトの同僚に教えてもらった。同僚は都内の大学に通っていて、セレクトする著書が大人びていた。作品の感想を話すようなイベントはなかったはずだ。同僚は時給が高い都内のどこかにアルバイト先をかえた。そりゃそうだって思ったものだ。ゼロ年代、せっかちな出版不況、おしゃべりする余裕がある職場、はたして何を考えていたのやら。未だに顔を合わす同級生と再会したのもそのアルバイトだったから、意外と重要な場所だったかもしれない。どうでもいいか。

 

つまらない話しを仰々しく書いていたら流石にいたたれまれなくなってきた。そういえば文学界2024年4月号を読んだ。目的は別だったけれど、エッセイを書くにあたり、意外と参考になった。取り扱うトピックのポピュラリティが大切という認識を得られたからだ。

 

もちろん今回その認識は無関係だ、いずれ達成する課題でいいと思っている。

浅はかな内容のくせに語り口が回りくどい。

大局的なトピックとは隔たった、身近なエピソードをどうにか並べ立てている。

まぁ自己紹介には十分でしょう。